|
ユンボ
をあやつるK山さん。
本来の用途とはかけ離れているが、
便利なことは便利、、、
|
解体現場は、あきひこさんの隣人で農業を営んでいるK山さんち(いつもここの製粉機をお借りして麦を挽かせてもらっている)。
到着すると、ユンボに吊り下げられた鹿さんが待っていた。すでに頭はない。ご近所の養鶏家S藤さんと、午前中に血抜きを始めたらしい。
「まぁ、まず呑んで呑んで。お清めだからねー。もう、今日は朝からむちゃくちゃだよー。呑まなきゃやってらんないよー」とK山さん。確かにね。まずは気合
を入れるために一杯(私はドライバーということでひと口だけ、、、)。
|
|
|
肋骨を
切り開くS藤さん。
|
S藤さんは鶏に関してはプロである。今はもう
やっていないが、以前は廃鶏を1日に何十羽もさばいていた(一度見せていただいたが、見事なお手並みでし
た)。が、鹿は初体験。つまり、ほぼ素人組による解体ということになる。しかも、ほんとうは絶命直後にやるべき血抜きのタイミングも大幅に遅れている。ど
うなることやら。
さっき仕入れたばかりの知識によれば、まず肋骨を開いて心臓と肝臓を取り出すらしい。S藤さんが、使い込んだナイフを取り出す。
「まず肋骨の合わせ目の部分を切り開くって書いてありましたけど、、、」
「この辺かなー」
「あ、S藤さん、ずれてます、ずれてます!」
「(ぶしっ)あ、しまった、、、」
いきなり、なんだかわからないが内蔵を突き刺してしまう。ここは慎重にいきましょう、慎重に、、、
確か蝶骨(左右の肋骨をつなぐ骨)から肋骨を切り離す、と書いてあった
が、、、
「うーん、この辺かな。あ、わかった、ここだ、ここだ、、、」
さすがS藤さん。肋骨が切り開かれていく。この中に心臓があるはず。気がついたら、手が出ていた。もちろん素手だ。
「あ、あったかい!」
さっきからあたりに立ち上っていたのは、やっぱり湯気だったんだ。「いのちをいただいている」ことを、まさに肌で感じた瞬間。
心臓は想像よりもずっと大きかった。続いて、レバーのような臓器が、、、肝臓?と思ったが、そのあとでほんものの肝臓が出てきた。じゃ、さっきのは何?
|
|
|
一応ゴム手袋を持参したけれど、
やっぱり使わなかった、、、
|
考えていても仕方ないので、どんどん先へ進
む。胸から腹
の部分を切り開く。ここから先は、消化器系なので、慎重に。腸を傷つけると、中身が肉に付いてダメになってしまうこともある、と書いてあった。
切り口から、腸があふれるように飛び出してきた。鶏に比べると、何もかもがでかい。このあとは、肛門のまわりを切り取って、腸の中身が出ないように押さえ
ながら、腹のほうへ押し戻す、らしい。押さえるのはむずかしそうなので、肛門を切り取ったあと、紐でしばった。押し込むM氏。腹の切り口のほうから引っ張
るS藤さん。よし、出てきた! 消化器系を一気に取り出す。これでひと安心。
内臓を取り出したあと、ほんとうは川の水に数
時間さらすらしいが、今回はちょっと無理なので、ホースの水で丁寧に洗い流す。甲斐駒の麓にある白州は、夕暮
れが早い。冬は3時を過ぎればもう夕方の気配だ。気温もどんどん下がってくる。ホースの水で、手がしびれる。
|
|
|
 |
さて、次は皮だ。これは鶏にはないので、まっ
たくの初体験。皮はどうするんだっけ。付け焼刃の記憶がない。あきひこさんが、これまたインターネットからプ
リントアウトした資料を取り出す。足首にぐるっと切れ目を入れて、下に剥いでいく。
「縦にも切れ目を入れたほうが、、、」
引っ張っても剥がれないときは、ナイフの刃を使って削ぐようにするといいらしい。だんだん要領がわかってきた。途中、肉が皮にくっついてきたりしたが、な
んとか頭のほうまで剥ぎ終えた。野生動物だからなのか、冬だからなのか、皮の部分以外、脂肪らしきものがまったくない。まるで筋肉の塊だ。このあたりで、
「生き物」が「肉」に変わってくる。「にわとり」が「チキン」になる瞬間だ。
|
|
|

背骨の周りの肉を剥ぐ。

モモ(でかい!)と格闘するM氏。
|
ユンボから下ろして、S藤さん持参の大きなまな板の上に横たえたあと、
各部の肉を切り分けていく。「モモ」の部分から後ろ足を外し、「カタ」の部分から前
足を外す。背骨のまわりの肉を削ぎ、肋骨に付いた薄い腹肉を削ぐ。鶏の場合は、何度がやっているうちに、どこにどういう肉があって、どこで分かれるか、だ
んだんわかるようになった。鹿はさすがに初めてなので、何がなんだかよくわからない。ただ、基本的には手と指を使って分けられるところで分け、ナイフを補
助的に使う、というのが正しいような気がした。
解体を始めた頃の高揚はだいぶ落ち着いて、足の関節と格闘するひと、内臓をきれいに洗うひと、背骨を切り分けるひと、と、いつの間にか分業体制で黙々と作
業する面々。
K山さんが、お湯を沸かしていたかまどの上に鉄板を乗せて、骨付き肉を焼き始めた。コンテナに切り分けた肉が並ぶすぐ横で、野生の香りがする肉に塩と胡椒
をふり、手づか
みで頬張る。
「うん、うまいっ」
おいおい、箸ぐらいないの?という声も聞こえるが、この場面では、手づかみこそがふさわしい流儀のような、、、
|
|
|

S藤さんが持って帰った頭は
こうなりました、、、

|
鹿一頭分の肉は、やはり圧倒的な量だった。
鹿肉を喜んで食べてくれそうな心当たりに電話をかけて呼び出し、持ち帰ってもらう。たまたま用事があって立ち寄ったまま帰れなくなったS田さんにも分け
た。犬の散歩中だったHさん親子にも、リュックいっぱい持って帰ってもらった。
血まみれの土間を洗い流し、コンテナを掃除した後、集まっていた人々もひとり去り、ふたり去って、最後に残った4人で、凍てつくような夕暮れの中、焼肉の
残骸がくすぶる火を囲んだ。興奮も冷めて、だんだんと無口になる。
火を見つめながら、「ひとつの命を頂いた」ことを、あらためて思った、、、
あとで判明したが、この鹿肉、その先もあちこちに配られたらしい。
翌々日、鹿肉カレーを作ったのでおすそ分けしようと武川のお友達に電話をかけると、なんと同じ鹿肉を別のお宅でご馳走になっている最中だったり、、、
うちから肝臓を委託してレバーペーストを作ってもらったヨハナの言葉より。
---------------------
大きな動物は、一人で食べきれない。
分かち合わなければ、食べられない。
狩りをしていた時代、ここが人と人とを、
つなげるポイントだったのかもしれないですね。
向かい合ったいのちに感謝して、
みなとともにあることに感謝して、いただく・・
そうするように、なってるんだなー、と。
お米やお金は「たくさん穫れたから分けよう」とは、
ならないですよね。
---------------------
|
|